自分の仕事は、自分でつくる

明日の仕事のヒントと、行動力の高め方

5年、10年先のことなんて考えず、「今を生きる」を貫く1年に

久々のブログですが、ちょっとキツかった1年を振り返りつつ、ハイボール片手にダラダラと書きます。最後の一行で、決意表明もします。
(あっ、2023年もよろしくお願いします!)

 

今まで生きてきた45年の人生の中で、最も長い移動距離を記録した1年となった2022年。
8年間毎日更新してきたブログを、45歳の誕生日という節目でやめる決断をした2022年。
「いつかは教育の現場へ」という夢の第一歩目となった、産業能率大学の非常勤講師になれた2022年。

 

さあ、2023年はどうする?

 

2022年は9月あたりから休みなく走り続けて、ようやく2022年の最後の最後に、じっくりとあれこれ考える時間をつくることができました。

 

昨年度は「後継者インターンシップ」から13名の後継者が誕生し、「後継者インターンシップ」に注目してくれる人も増え、大きなプレッシャーの中で2022年の4月を迎えました。そして、2022年の年末には15名の後継者が誕生したこともあり、順風満帆な印象を持たれている方も多いと思いますが、本当は思うような成果が全然出せずに、肉体的にも精神的にも何度も泣きたくなったほどのキツい1年でした(母親も体調を崩したりして…これもキツかった…)。

 

「ニッポン手仕事図鑑の未来はどうする?」
「今、大牧圭吾として、何よりも優先してやるべきことは?」
「そもそも、来年の個人スローガンは何にする?」

 

そんなことを年末に考える時間をつくって、じっくりと考えてみました。

 

で、たどり着いた結論は、「まあ、5年、10年先という遠い未来のことをあれこれ考えても動けなくなるだけだから、とにかくこの1年に集中して、全力で走り抜けよう。数年前に座右の銘にした『今を生きる』を忠実に。僕を評価してくれている人たちは、何だかんだで行き当たりばったりな生き方を推してくれてもいるし、元々頭で器用に考えて生きられるタイプでもないし…」というゆるいものでした。

 

そもそも小さな頃から勉強ができず、大学受験も現役、一浪とすべての大学に不合格。その後、勢いで専門学校に入り、卒業後には後先考えずに椎間板ヘルニアを手術をして、勢いで1社目の会社に滑り込み、行き当たりばったりで2社目、3社目と転職して、今がある。考えるよりも、走りながら必死に未来を切り拓いていくほうが自分の性分に合っている気がする。そこに立ち返ることにした…とでも言いましょうか。

 

もちろん、何も考えずにただ動くわけじゃなく、僕なりに真剣に考え抜いて、2023年は「3つのプロジェクト」に専念して動くことに決めました。この3つがニッポン手仕事図鑑の未来を左右するような気がしています。だから、全力で向き合うつもりです。話があっちこっちに行きますが、いくつか掲げた2023年のスローガンのひとつが「人生で、もっとも人に出会う1年にする」。だから、僕と会ったことのある人、まだ会ったことのない人を問わず、「会ってやってもいいよー」という方、ぜひ地方に行ったときや東京方面に来たときに会ってやってください。語り合ってやってください。よろしくお願いします。

 

とにもかくにも2023年は「今を生きる」を貫き、全力で走り抜きます。
夏までに念願だった2冊目の子ども向け書籍を発売し、9月にはひとつ大きな発表もできると思います(まだ公表してはいけないようで…泣)ので、そこも楽しみにしていただけると嬉しいです。

 

というわけで、2023年はもう少し可愛げある大人になって、頑張りたいと思います。あと、プライベートではソロキャンプに挑戦したいと思います。誰かレクチャーしてください。