「企画書」とひと言で言っても、出てくるものは「麺」と同じくらいに大きく異なります。ラーメン、そば、うどん、そうめんもあれば、パスタもあるし、フォーもある。同じラーメンでも日本全国で味は全然違うし、そばもトッピングの種類は数多く、冷と温もある。そのくらい、企画書もさまざまです。
どうでもいい例えはこのくらいにしておいて…。
と言いつつ、少しだけ麺の話を続けますが。
麺には水が不可欠なように、僕は企画書にも“不可欠な成分”があると考えています(練り水を一切使わず、卵とバターで小麦粉を練り上げた麺もある! という話はしないでください…)。
それが、「企画によって、その人(または企業や地域)がどう変わるのか? どう変わることを目指した企画なのか? という提案者の考え」です。
僕は定期的に、自分以外の誰かが作成した「企画書」を目にしますが、意外と多くの企画書が、不可欠なはずの「提案者の考え」がぼんやりしていたりします。(あるいは、書かれていなかったりします)。提案された人は、「その人(または企業や地域)がどう変わるのか? どう変わることを目指した企画なのか?」がわからないので、本当にこの企画でいいのか? 今、頼むべき企画、やるべき企画はこれなのか? と、依頼する決心が付かず、迷うわけです。
そしてさらに書くと、提案する側も「その人(または企業や地域)がどう変わるのか? どう変わることを目指した企画なのか?」がハッキリ見えていないので、企画の詰めも甘くなるし、自信を持って提案できなかったりする。そんな企画がもし動きはじめてしまったら…そう、それはもう、不幸のはじまりです。
シンプルな話ですが、企画書を書くときは、まずはハッキリと言語化させること。
「企画によって、その人(または企業や地域)がどう変わるのか? どう変わることを目指した企画なのか?」の考えを。
「水を使っていない麺」のような企画書がある。水を使っていない麺は、ただの粉。提案者の考えがない企画書も、そのままでは食べられないのです。