昨日、1本の嬉しい電話が入りました。
それは、1月に長野県南木曽町で開催した後継者インターンシップで、最後の二人の候補者に残りながらも、残念ながら涙を飲んだ女の子(電話で不採用の連絡をしたとき、本当に落ち込んでいて…)。普段は神奈川県の技術専門校で家具づくりを学んでいるのですが、どうしても轆轤(ろくろ)がやりたいと、別の轆轤の産地で就職先を探し、なんと静岡の工房で4月から働けることになった、と。長野県のご担当者も、選考期限を延長するくらいに悩みに悩み、泣く泣く不採用とした職人さんも、とても喜んでくれていた。「これをきっかけに、轆轤の産地同士で繋がれるといいね」と。
僕はその報告を聞いたとき、「結局は、ここだよね…」と、ストンと腹落ちしました。
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」
受け売りですが、僕もたまに、自分自身にそんな言葉を投げかけています。
言葉は違っても、きっと彼女も同じような言葉を自分に言い聞かせていていたと思うのです。
正直、職人さんは6名のインターンシップの参加者について、「技術はみんな五十歩百歩。大きな差はないし、どこまで成長するかも、全員が未知数」とおっしゃっていました。その中で、最後の二人まで残り、そこで落とされても、別の産地の工房の職人さんにも評価され、採用された彼女は何が違ったのか?
轆轤をやりたい! という情熱。
轆轤を諦めない! という根性。
絶対に職人になる! という執念。
そう、その可視化も数値化もできない“見えない思い”は、きっと伝わるもの。結局、夢を形にできるかどうかを分けるのは、ここだと思うのです。さらに書くと、その思いを伝えるという行動に移せるか。
今の時代とは逆行する考え方かもしれませんが、僕は情熱だけでなく、根性や執念は不可欠だと思っています。そして僕は、根性や執念がある人が大好きです。