僕が友だちのようなお付き合いをさせていただいている、製硯師の青栁貴史さん。
彼と待ち合わせをすると、必ずと言っていいほど待ち合わせの場所に先に到着して、本を読んでいます。スマホをいじっているなんてことはない。というか、スマホをいじっているところを見たことがない。
僕が「彼にはかなわないなぁ…」とずっと思っていること。
それは「表現力」です。
僕の想像ですが、彼は本から表現を学ぶだけでなく、自分が日々工房で感じたことをそのまま放置せず、言語化するという作業を続けている。「感じたことを言語化する」と言えば簡単なようですが、とても苦しくて、面倒な作業だったりする。でも彼は、この部分を言語化できていないと硯の魅力はもちろん、常々語っている「毛筆の文化の畑を耕す」という目標に近づけないことを知っている。だからこそ、言語化の作業を怠らず、表現力を研ぎ澄ませているのだと思います。
ある日、青栁さんは僕にこう言いました。
「いい紙っていうのは、上質な半紙っていうのは、墨をよく『食べる』んですよ」
一般的な人なら『墨をよく“吸う”』だったり、『墨がよく“乗る”』というような表現をするはず。でも彼は、『食べる』と言ったのです。
「上質な半紙は、『墨をよく『食べる』んです。面白いのはね…」
「上質な半紙は、『墨をよく“吸う”んです』。面白いのはね…」
「上質な半紙は、『墨がよく“乗る”んです』。面白いのはね…」
と、語り掛けられたとしたら、皆さんはどの表現の続きを聞きたいでしょうか?
文章力、表現力、伝える力とは、僕はこういう小さな言葉選びだと考えています。そして、それらの力は勉強で学べるものではありません。自分の心が動く環境に身を置き、自分が感じたことを苦しくても面倒くさくても、丁寧に言語化していく。きっと青栁さんは文章力を身につける系の本なんて読んだことはないはず。でも、文章力、表現力、伝える力はそこらへんの人では太刀打ちできないレベルにいます。相手が話を聞きたいと思わせる。表現力を身につけるとは、そういうことなのです。