まずは、昔話をひとつ。
僕は小学校2年生の頃から少年野球をやっていて、(少々自慢話になってしまいますが…)神奈川県鎌倉市の中では、そこそこ知られた選手でした。もちろん、何もせずに上手くなったわけではなく、普段のチーム練習以外にも、ひとりで自主練習もしていました。この時期に努力をして、成果を出せたことは、のちの人生に大きく影響していると思いますが、今日の本題はここではなく…。
僕は野球練習のほかに、オリジナルの“野球に特化した”スポーツ新聞をつくっていました。
どんなものかをざっくりと説明すると、新聞のスポーツ欄をハサミで切り抜き、ノートに貼り、自分なりに分析して、記事を書いていたのです。それを友だちに見せていたことは覚えていますが、なぜスポーツ新聞をつくろうとしたのか? それが自分のプレーにどう生かされたのかは、まったく覚えていません…。
なぜ、この昔話を思い出したのかというと、「同じ情報を得たAさんとBさんでも、その情報の価値は全然違うんだな…」と実感させられる出来事があったからです。たとえば、Googleで検索して出てきた情報も、誰かが話してくれた情報も、価値あるモノにできる人と、ただ受け取って終わってしまう人がいるのです。
その差は、どこで生まれるのか?
情報を得たあと、「自分なりに分析して、自分なりの意見をまとめる」というアクションがあるかどうかの違いが大きいと僕は考えています。
情報とは、「素材」です。
食材と同じように、何の加工もせずにそれだけで価値のある情報もありますが、多くの情報は調理(加工)したり、活用するレシピを考えて共有することで価値が出てきます。それと同じで、情報も自分なりに分析して、自分なりの意見をまとめ、活用できるようにする作業があって、はじめて価値が出てくるものなのです。
きっと小学生のときの僕も、新聞のスポーツ欄で得ていた情報を、自分なりに調理をして、自分なりの価値ある情報に変えていたのだと思います。そんなことを考えていたら、できるならあの頃の自分と編集会議をしてみたいなぁと思ったり…。それはさておき、皆さんは入ってきた情報を、価値ある情報に調理できているでしょうか?