今日のチーム内でのミーティングのとき、僕がある商談についての報告をすると、メンバーのひとりがこんな質問をしてきました。
「その“本音”を話してくれるって、相当なことだと思うのですが、どんなふうに引き出したのですか?」
そう聞かれて、僕は答えに迷ってしまいました…。
確かに相手から“引き出した”のは違いないのですが、具体的に「これをやったから!」というものが、具体的に頭の中に浮かばなかったからです。
で、少し考えて出てきたのは、僕が相手と本気で向き合い、本音を語ったからこそ、きっと相手も「本音」を話してくれたんじゃないかな…というシンプルな結論。そう、そこには語れるようなテクニックはなく、あったのは「自分の本気」だと思ったのです。
逆の立場になってみると、僕が商談や会議で誰かに本音を語るときは、相手も心を開いて本音を語ってくれるとき。少し大げさに書くと、本気で僕と向き合うだけでなく、その人も本気で自分自身の仕事や人生と向き合っていると確信できるからこそ、本音を語ろうと思えるわけです。
人は「本気」の人にしか、「本音」を話さない。
そして「本気」とは、その人の表情と、出てくる言葉で感じ取れるもの。そう、「本気」は演出できない。もし相手が本音を語ってくれないと感じたときは、自分が本気になっているか? と、自問自答してみるといいかもしれません。
本音は信頼があるからこそ、語れる。そして「信頼」という花は、「本気」という種から咲くのです。