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学生の「教わる」と、社会人の「教わる」は、まったく別物 〜報酬をもらわなくても、自分に教えてくれる人たちへの恩返し〜

「教わる」
教えてくれる誰かがいるからこそ、人は教わることができて、成長することができます。仕事に限らず、成長が実感できるからこそ、物事に対してやりがいを持てたり、楽しさを感じたりもする。教えてくれる人の存在は、とてもありがたいものです。

 

今日は学生さんに向けて書きたいと思いますが、もしかすると社会人の人の中にもハッとする人がいるかもしれませんので、初心に戻るつもりでどうぞ。

 

学生のときの「教わる」と、社会人になってからの「教わる」は、まったく別物だと僕は考えています。

 

どう別物なのか?
まずは当たり前のことですが、“お金(授業料)を払って”教えてもらうことと、“お金(お給料)をいただいて”教えてもらうという大きな違いがあります。

 

学生に教えている人(=先生)は教えているその時点で報酬が発生しているし、情熱を持って教鞭をとっている先生が数多くいることを知っている中で大変失礼な書き方になってしまいますが、「できるようになる、ならない」に対して、学生ひとりひとりに責任を問われることはありません。もっと書くと、社会人向けのスクールでは、成長を“してもらわない”ほうが受講料を払い続けてくれるので、都合がよかったりもする。それは、教え方も優しくなります。

 

対して、社会人に教えている人(=“主に”上司や先輩)には、「成長をさせる」というミッションがあり、そこに責任もある(会社によっては、教えてダメだったら早くクビにすればいいという会社もあるかもしれませんが、ここではそういった例外を除きます)。

 

これだけでも「先生」という立場と、「上司や先輩」という立場では、教え方、教えるというスタンスが大きく変わることがわかります。学生の皆さんには改めて認識しておいてほしいと思いますし、「当然でしょ?」と思われるかもしれませんが、社会人でもすっぽりと抜けてしまっている(学生気分なままの)人もいます。

 

そしてここからが大事なのですが、上司や先輩は「教えている時点」では、何も“報酬をもらっていない”ということ(いや、役職給が…という反論がありそうですが、ここを解説していくと長くなるので、今回はスルーさせていただきます)。ストレートな物言いをすると、何かをもらうどころか(いや、学びを得られているでしょ…という反論についても、また後日…)、自分の時間を失っているわけです。
【お詫び】( )が多くなってしまい、大変申し訳ありません…。

 

真剣に教えてくれる上司や先輩ほど、成長してもらいたいという想いが強いからこそ、自分の時間を割いてくれるわけですが、でも、報酬はもらっていない。教える時間に、ではなく、自分の仕事に時間を割けば、より多くの報酬(=評価や給与、学び)が得られるかもしれないのに、自分のために時間を割いてくれるわけです。本当にありがたい存在です。さらに書くと、お金をいただきながら学べるわけですから…。

 

学生の皆さんが社会人になったとき、教えてくれる人の存在は「先生」から「上司や先輩」に変わります。繰り返し書きますが、先生は教えている時点で報酬が発生していますが(決して、ここを否定するつもりはありません。ちなみに僕が今目指しているのは、教育の現場です)上司や先輩は教えて、“あなたが成長して、会社に貢献したとき”はじめていろいろな意味で報酬が得られるのです。

 

だからこそ、僕はいつも教えてくれる人に対して、心の中で思っていました。
教えている人たちの報酬は、僕が「できる自分になる」こと。成長する姿を見せること。そして、結果を出して、ともに喜ぶこと。それが社会人である自分に教えてくれる人たちへの恩返しだと思うのです。