「下積み」と呼ばれるような立場にいる人の中には、大量の企画書や営業資料をホッチキスで止める作業を任されたり、いくつもの資料をひとつひとつクリアファイルに入れたりと、今日も地味な作業をこなしていた人も少なくないと思います。
僕にも当然、地味な作業を任される下積みの日々がありましたが、自分にとっては時間の無駄だと言いたくなるような作業でも、ちゃんと意味があるんだな…と思えた瞬間があったので、今日はそんな昔話をちょっと書いてみたいと思います。
ある日、僕は師匠から「仕事ができる人ほど、ホッチキスの止め方も“見ているよ”」と言われたことがありました。
そう言われたときは正直、「そんな細かいところまで?」と思ったのですが、それは「チェック」という意味ではなく、受け取った瞬間、気持ちいいか、気持ち悪いかを「感じる感度」を持っているということ。つまり、仕事ができると評価される人は、相手への配慮ができるので、配慮できていない部分が、“自然と見えて(感じて)しまう”という意味だったのです。
数枚のA4用紙がホッチキスで止められた資料。しっかりと揃えて止められているか、ホッチキスの位置や角度でも、止めた人の作業シーンは浮かぶものです。事実、当時の会社の大口クライアントの敏腕担当者がある日、「◯◯くん(当時の上司)のチームは、ホッチキスの止め方、資料の準備の仕方を見ても、ひとつひとつ丁寧に仕事をしていることがわかる。そういうところが安心できるよね」と、ぽつりと雑談の中でおっしゃったことがあり、その言葉を聞いてハッとした経験があります。
僕は今も企画書を書いて、紙をホッチキスで止める作業をしますが、そのときはしっかりと紙を揃えますし、ホッチキスの針の位置や角度も、丁寧さを意識して止めます。さらに書くと、商談に行くときもクリアファイルの中の資料を一旦出して、きれいに入れ直したりもします。相手にどう見えるかを考えての行動でもありますが、そこを意識できる(大事にできる)自分でいないと、結局は書く企画書も、どこか雑になっていたりするからです。
そう、つまりは、姿勢や想いの問題。ホッチキス止めが雑な人は、大事な仕事も雑だったりする。僕は日々自分に、そう言い聞かせています。