自分の仕事は、自分でつくる

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なぜ伝統工芸をなくしてはいけないのか? なぜ残していかなければならないと、僕は考えているのか?

このブログの記事は1記事あたり、おおむね600文字程度(長くても1000文字)にまとめることを意識しているので、どこまで深く書けるかわからないのですが…。

 

今日はたびたび聞かれる「なぜ伝統工芸をなくしてはいけないのか? なぜ残していかなければならないと考えているのか?」という問いについて、僕なりの考えを書いてみたいと思います。

 

まずひとつ目は、「地域(=自分が暮らす町)への誇り」です。
僕は今、日本全国のさまざまな地域へ行かせていただいていますが、「この町には…(何もない)」という思考になってしまっている地元の人ほど、若い人たち(多くの場合、自分の子どもたち)を、希望が見えない自分たちの町から外(=都市部)へ出そうとしてしまうので、町が疲弊していく…。また、自分の町が好きで残りたいと思っている若者も、そんな声が多くなるほどに、そして強くなるほどに、町の未来に希望が持てなくなります。結果、自分と相性が悪い都市部で暮らすことになったり…。

 

でも、地域が誇れる産業や文化がある町であれば、町の人たちは自分の町に誇りを持ち続けることができる。事実、元気があると言われる町には誇れる産業や文化があって、町を残そうと積極的に行動をしているので、活気も出てくる。もし、現時点で誇りに思えないのであれば、町にある産業や文化が誇れるものであることを知ってほしいので、僕は情報発信のお手伝いをしているのです。

 

そして、ひとつ目にもつながることですが…。

 

ふたつ目は、「ゼロには、何をかけてもゼロである」ということ。
たとえば、伝統工芸の技術。その技術が残っていることで、そこに“何か”を掛け算することで、新しい価値が化学反応で生まれることがある。友禅の型紙を彫る技術を使って革のiPhoneケースが生まれたり、木曽漆器の技術を使ってガラスの漆器が生まれたりしていますが、それらは海外でヒットしました。売れたということは、手にして喜ぶ人も増えて、収益が上がったということ。そこには収入を得た人がいて、新しい雇用も生まれたわけです。

 

伝統工芸には価値のある技術があり、ひとつ目で挙げた日本全国の町にも貴重な地域資源がある。たとえそれが「1」という小さなものでも、「5」をかければ、価値は上がるし、それが「2」だったら「5」をかけることで「10」にもなる。

 

そう、「ゼロ」にしてしまったら、何をかけても「ゼロ」なのです。

 

掛け算できるかどうかはやってみないとわかりませんが、掛け算できるものを次の世代に残すことで、新しい価値が生まれるという希望が残る。
だから僕は、伝統工芸を残していきたいし、地域の資源を残していきたい。その技術や価値を広めていきたいし、広めた結果、受け取った人が感動している姿を見せてあげることで、「ほら、あなたたちの技術や町には価値があるんだよ」と言ってあげたい。

 

掛け算するものがない未来の日本って、寂しくないですか?
僕がニッポン手仕事図鑑やスコップを立ち上げた理由は、こんなところにあったりします。やっぱり、少々長くなってしまいました…。