途中まで書いていた記事があったのですが、「あっ、やっぱり今日は“あのネタ”を書かないとダメじゃない?」と思い直し、書き直すことにしました。
“あのネタ”とは何か?
答えはこれ。
ハッピーバースデー!
— 大牧圭吾|ニッポン手仕事図鑑 編集長 (@by_waterman) January 23, 2021
メンバーすらも
覚えていないと思いますが…。
今日は、
株式会社ニッポン手仕事図鑑の
会社設立日。
立ち上げてから6年。
法人化してから2年。
たくさんの人に支えられて、
何とかここまで来られたことを、
本当に嬉しく思います。
皆さん、
いつもありがとうございます! pic.twitter.com/a8sv6XyzqK
そう、2015年1月に産声を上げた「ニッポン手仕事図鑑」を2019年1月23日に法人化をしたのですが、今日、会社設立からちょうど2年を迎えたのです。2015年当時、社員数7名の会社の新規事業で立ち上げて、予算はたったの5万円。しかも立ち上げメンバーは自分とビデオグラファーのふたりだけでした。
それから6年、80本以上の映像が公開できて、『子どものためのニッポン手仕事図鑑』という本も出版させていただき、しかもその本が中学生の教科書で紹介されるようになるとは思ってもいませんでしたし、伝統工芸に関する国のお仕事を任せてもらえるようになったり、「職人 日本」「職人 映像」とgoogleで検索したとき、一番上に表示される日が来るとも正直想像もしていませんでした。応援してくれた方々あってのことですが、よくここまで来たなぁと、ちょっと他人事のように思ってもいたりします。
「そんな状況からはじめて、よく続けて来られたね」
「どうやって事業を育ててきたの?」
今日もそんなことを聞かれたので、改めてちょっと考えてみたのですが、結局はここに尽きるかな、と。あれこれと試行錯誤しながらやってきたので、細かいことを上げればキリもないのですが、でもやっぱり、ここに尽きると思っています。
「ビジネスを育てる」ではなく、「メディアを育てる」と考えたから。
「収益を増やす」ではなく、「ファンを増やす」と考えたから。
この違いはとても大きくて、思考の起点も、先につながる思考のプロセスも、当然行き着く答えも、次の行動もまったく変わってきます。
自分とは違う強い反対意見も、逆に甘い誘惑も、とにかく心が揺らぎそうで、折れそうなことも多かったのですが、最後の最後で踏ん張り、ここを曲げず、貫くことができたからこそ、6年経った今も手仕事図鑑は存在できているのかな、と。その間に立ち上がり、なくなっていったメディアはそれこそ星の数ほどありますから。
何年続くか? よりも、どこまで職人さんに、産地に、そして日本の文化を残していくことに貢献できるか? が大事。
もし貢献できなくなったら、僕は手仕事図鑑をやめて、また別のアプローチで貢献できる方法を模索していきます。でも、今はまだまだニッポン手仕事図鑑としてできることがあるし、期待もしてもらっている。7年目を迎えたとき、もっといいお話ができるよう、これからも一歩一歩丁寧に進んでいきたいと思います。
これからもよろしくお願いします!