今日は盛岡三大麺のひとつであり、盛岡を代表する老舗、冷麺の「ぴょんぴょん舎」の取材に、急きょ同行させていただく機会に恵まれました。
今日は大好きな #盛岡冷麺 の、
— 大牧圭吾|ニッポン手仕事図鑑 編集長 (@by_waterman) December 11, 2020
緊急取材を敢行。
取材時には食べられなかったので、
あとでひとりで食べに行く。#ぴょんぴょん舎 pic.twitter.com/v9rEnR3zwP
取材の詳しい話はさておき、僕が話を聞いていて「なるほどなぁ…」と思ったのは、ストレートに「キムチはそのまま食べても美味しくないんです」という言葉。
個人的にはそのまま食べても全然美味しいと感じるのですが、味付けはもちろん、酸化のさせ方、キムチに使う野菜(水分量が大事)まで、すべてが冷麺のスープと混ざったとき、美味しくなるようになっているということ。そう、冷麺のスープがあってこそ、“活かされる存在”であるということ。
すぐに仕事(や人)に思考を結びつけるのもよくないとも思うのですが、僕が尊敬している人たちは、単体でも“美味しい”けど、シーンが変われば、冷麺のキムチのように、誰かに活かされる存在…もっと言うと、誰かと組んだときに、より美味しくなれるように、絶妙に調整できる人が多いな、と。ふと、そんなことを思いました。
主役にもなれれば、あるときは“味を調整”して、脇役に回ることもできる。そして、ただ脇役に回るだけでなく、主役を引き立てる存在になれる。
僕も全然器用ではなく、でしゃばりなところが多々あったりするのですが、ときには冷麺のキムチのような存在として、ひとつの器(=プロジェクト)にいられるようになりたいな、と。とにもかくにも、ぴょんぴょん舎の冷麺は最高なので、盛岡へ来たときはぜひ。こちらでも買うことができます!