自分の仕事は、自分でつくる

明日の仕事のヒントと、行動力の高め方

就職氷河期の真っ只中、ある会社の3名の採用枠に、“4人目”の「ダメ元枠」で入社した

僕の就職活動は、まさに「最悪」でした。

 

時は「就職氷河期」と呼ばれる時期で、求人数自体も少なかった。そのうえ、応募資格も「大卒以上」でなく、「六大学以上」や「MARCH以上」と、露骨に偏差値で応募条件が区切られていた時代。そもそも、僕は大学受験に全滅した専門学校生。落ちるどころか、履歴書やエントリーシートを送付することすら許されなかった身分…。

 

そんな中で、「最悪」の事態が起きました。
いよいよ就職活動が本格化するという時期に椎間板ヘルニアを患い、お医者さんから「卒業したら、手術をしましょう! 半年はリハビリ生活になるので、就職活動はしないでくださいね! 長い人生、まずは体を治すことが大事ですし、無職でも死にませんよ! わははは」と言われてしまうのです…。

 

結果、3月に卒業して、5月に手術を行い、僕が「就職活動してもOK!」とお医者さんに言われたときは、もう10月。季節は秋になっていました。

 

焦りながら、求人情報誌の『B-ing』をぺらぺらとめくる日々。冒頭にも書いたように、専門学校卒にはほとんどの企業が応募資格さえも与えてくれない就職氷河期。その中で1社、ようやく僕は応募できる会社を見つけました。フリーペーパーを発行する編集プロダクション。パチンコ系のフリーペーパーを創刊するので、新規で3人の社員を採用する、と。

 

その会社は書類選考は一切せず、応募者全員を大きな会場に呼び、テストと作文、そして面談を行うという方針の会社でした。
当日会場へ行ってみると、そこには200人を超える応募者。しかも、新卒のみでなく、圧倒的に中途の経験者が多い。「3名の枠に、こんなに…。就職氷河期だから当たり前か…」と、会場入りした瞬間、猛烈にがっかりしたのを覚えています。

 

まずはテスト。
一般常識のテストだと思っていたら、パチンコの筆記テスト(選択問題は一切なし…)でした。正直、僕はほとんどパチンコをやったことがなかったので、答えが書けたのも1問だけ。言うまでもなく、そのあとの作文を書く気は失せ、一刻でも早く帰りたかった…。

 

何とか会場から抜け出してやろうと考えたものの、それは叶わず、作文を書くことに。そこで僕は「どうせ受からないんだから、この中で一番面白い作文を書いてやろう!」と、半ばヤケクソになって、作文を書きました。そして、その後に面談を受け、その日は終了。疲労感たっぷりで、とぼとぼと渋谷駅に歩いて向かいました…。

 

でも、結果は「内定」。

 

3人の採用枠に対して、「ただ、面白そうだったから」という理由の、4人目の「ダメ元人材(=すぐ辞めたら、それでいいんじゃね?)枠」で。そして僕は2年半、その会社でライターの基礎を叩き込まれ、次の会社に転職をするのです。

 

ウィズコロナの今、新卒の採用を取りやめた企業が多いと聞きます。でも、面白そうな人材だったら採用したい。そう、「ダメ元枠」は実は結構あったりする…というのが、僕の考えです。
厳しい時期ですが、やれることはまだまだあるし、未来はそんなに暗くない。頑張れ、就活生! で、最後にもう1度、冒頭で紹介した、就活生だった僕がお医者さんに言われた言葉を書いて終わります。

 

無職でも死にませんよ! わははは