日本電産の本社の1階には、「プレハブ建屋」が設置されています。これは、創業当時に作業場として使っていたもの。
永守重信会長曰く、「創業期のあの厳しい時期を乗り越えてきたからこそ、ここまで来ることができた。辛いときにそこへ行くと、あのときの苦しさに比べたら、こんなものは大したことはないなと思い直して、また元気を取り戻せる」とのこと。
「あのときの苦しさに比べたら…」
永守さんのその言葉を聞いて再認識したのは、自分が本当に辛く苦しいとき(それが今だったりもするのですが、それはさておき…)、「あのときの苦しさに比べたら…」と言える20代、30代のときの経験が、時に折れそうな心を支えてくれて、自分の背中を押してくれているということ。そう、自分を強くしてくれる。
今の時代は、それを不幸と呼んでいいのか難しいところですが、「あのときの苦しさに比べたら…」と言える経験を避けようとする風潮がある。しかも、自分自身が「そういう経験がしたい!」と望んでも、周囲がさせてくれない環境に置かれてしまうことも多い…。
そんな時代の真っ只中であえて言いたいのは、「あのときの苦しさに比べたら…」という経験は、“望んででも”しておいたほうがいいということ。
20代は勢いで進んでいけるし、30代の前半もいろいろな意味で逃げようと思えば簡単に逃げられるし、周囲も手を差し伸べてくれる。でも、30代の後半からは逃げようとしてもなかなか逃げるのが難しくなったり、周囲に応援してくれる人は増えても、手を差し伸べてくれる人は少なくなる。
なぜ、手を差し伸べてくれる人は少なくなるのか? それは、ひとりひとりが手を差し伸べられる人の数には当然限りがあり、30代後半や40代前半のそこそこ経験した人に手を差し伸べるよりも、多くの人が若い人の力になりたいと思うもの。事実、僕もどんなに苦しい状況に置かれても、ある人が20代のAくんと僕のどちらの手を差し伸べようかと迷っていたら、「ここは僕でなく、Aくんで…」と言ってしまいます。さらに書くと、ある程度の経験を積んだ人には、手を貸すにも遠慮が生まれたりもする。
誤解してほしくないのは、30代後半から人生が厳しくなると言いたいわけでなく、僕はむしろ30代の後半はそれまでの人生の中で一番楽しくて、40代になってからはもっと楽しくなっている。でもその反面、辛いとき、苦しいときは、周囲の助けも借りつつも自分自身で“対処”しなければならないことが増えました。それが年齢や経験を重ねるということでもあるわけです。
そんなときに自分を支えてくれるのが、そう、「あのときの苦しさに比べたら…」という経験。
もし今、辛く苦しい経験をしている人がいたら、逃げるもよし。未来に背中を押してくれる経験になるかもしれないと、向き合うもよし。どちらが正解かどうかもわかりません。でも、永守さんレベルの人でも、辛いときに元気をもらうのは、過去の経験だったりするということは、頭の片隅に置いておいてもいいかもしれません。