自分の仕事は、自分でつくる

明日の仕事のヒントと、行動力の高め方

「熟れてきたとき」が、一番危ない

「熟れる」と書いて、「うれる」以外に何と読むか、わかるでしょうか。
学校で習ったのだと思いますが、42年生きてきてお恥ずかしながら、僕は今日、「熟れる=こなれる」と認識をしました。『こなれてきたときが、一番危ない』と記事のタイトルを打とうとして、何となく「小慣れる(小さく慣れる=こなれる)」ような変換をされると思っていたので、「こう書くのかぁ…」と。

 

さて、なぜ「熟れること」が危ない、という記事にしたのか。

 

一昨日、M-1が開催されましたが、個人的にも近年で一番面白い大会でした。
で、どのコンビが好きで、どのネタが面白かったかはさておき(個人的に一番面白かったのは、かまいたちの1回目です…)、上沼恵美子さんが優勝候補だった和牛に物申したシーンについて、今日は書いてみたいと思います。

 

上沼さんが言うような「横柄な感じ」とは感じませんでしたが、「こなれる」の意味そのものに、「無理なく思いのままにできるようになる」「落ち着いた状態になる」「調和の取れた状態になる」と感じて、緊張感がない感じがしたのは、正直なところです。漫才師が必ずしも緊張感を出す必要はないのですが、緊張感がないと、ひとつひとつの言葉に、そして会場の空気にも熱がこもらない。ネタのクオリティは高く、新しいカタチに挑戦したのもわかったのですが、あくまでも僕は、あまりよくない意味で“熟れた感”を感じてしまいました…。

 

結局、何が言いたいか? もちろん、和牛を否定したいわけではありません。むしろ、和牛ファンのひとりなので…。

 

僕も今、学校での授業や講演等のお仕事をさせていただく中で、漫才のように本番で“ネタ”を披露しながら、より心に届くようにブラッシュアップをしています。そして、その中で新しいネタを考えるようにしています。その反面、舞台に立てば立つほど、熟れてしまうところもある。大切なのは、話し方が上手くなることでもなく、話の構成のクオリティを上げることでもない。そう、大切なのは、心に響かせること。

 

熟れてきたときが一番危ないと心に命じて、より心に響くライブを届けられるよう、腕を磨いていきたいと思います。