自分の仕事は、自分でつくる

10年後の「自分」と「仕事」をつくる、行動力の磨き方

「必死」になるのは、痛々しいのか? かっこ悪いのか?

とある名物経営者が初の書籍を出版されて、その本を自分自身で一生懸命PRしている一連の行動について、匿名アカウントで「必死感が痛々しい」とツイートされている方がいました(著書の方が引用リツート=相手にわかるツイートでなく、スクショを撮って、その画像とともに自身の感想をツイートされていたので、ここでの紹介は控えさせていただきます)。

 

「必死になるのは、かっこ悪い」
「必死になんて、ならなくていい」

 

時代の流れなのか、ここ数年は特に「必死」になることについて、否定的な意見が多く聞こえてくることが多くなりました。
皆さんはいかがでしょうか?

 

今日は日曜日で、いつもより少し読む人の数が減るので、あえて強めの表現をさせていただくと、「必死になれないことのほうが、かっこ悪い」と、僕は思っています。

 

「必死=体や心が無理すること」と捉えている人がいるような気がしますが(そんなことはない?)、僕は「必死=今の自分ができる100%を尽くすこと」だと考えています。だから、冒頭の著者の方が必死にPRするのは、当然のこと。必死にならないほうが、逆にかっこ悪いし、痛い。

 

「必死になっても、結果が出ないことが怖い…」
そんなふうに思って、必死になることから逃げている人も多いのかもしれません。大学生たちに講義をしていても、そんなことを感じることがちょくちょくあります。「俺は、本気を出せばすごい。まだ本気を出していないだけ」という言い訳できる部分を、怖いからこそ、残しておきたいのかな…というような。

 

でも、結果が出ない、成功しないことが怖くて、その根底に「結果を出したい!」「成功したい!」という思いがあるのであれば、やっぱり必死になることが大事。
僕の周りの「必死になって、結果が出なかった人たち」は、他の人にはできない経験をして、その経験が実力になり、次にチャンスをくれる人、チャレンジを応援してくれる人が現れて、“結果的に、結果が出せる人に”になっているからです。それに、僕がかっこいいと思える人の中に、必死になっていない人は、誰一人としていない。

 

正直、何が正解かどうかはわからないし、ここで「必死になることが正しい!」と断定できるだけの考えも理論も、今の僕にはありません。
でも、今の僕が自分自身に言えるのは、必死になるからこそ、結果が出せるし、必死になるからこそ、仕事も楽しくなる。だから僕はこれからも、痛々しいくらいに必死になって、実力を磨き、楽しい仲間たちと、楽しい仕事をしていきたいと思うのです。