「あの人は、ラッキーだよね」
「わたしは、ラッキーだから」
そんな“ラッキー話”を、誰かから1度は聞いたことがあると思います。
わかりやすい例をひとつ。
「ふたりごと文庫」の大学生編集長。大学2年生のときにニッポン手仕事図鑑のインターンシップに参加し、翌年にはローカルメディアの編集長に。「シブヤ大学」というスクールで講義も担当し、今月30日には「九州未来フェスティバル2018」のパネルディスカッションのゲストに呼ばれている。現在就活中なのですが、この活躍っぷりですから、当然ライバルたちにも注目をされる。
1年前は、普通の女の子。でも、ある日突然「編集長をやってみる?」と言われて、今はメディアの編集長。経歴を知っている人たちからは、「あの人は、ラッキーだよね」と言われる。彼女自身も「わたしは、恵まれている。ラッキーなんです」と答える。
でも、それはちょっと違う。
インターンシップに来たその日から、ライバルの誰よりも本気で仕事に取り組んできたし、勇気を振り絞って、やったことのないことでも「やります!」と手を挙げ続けてきた。社会人経験もないので、社会人とのやりとりで失敗もした。でも、その失敗を真摯に受け止め、努力をした結果、評価をしてくれる人たちが現れるようになった。そんな地道な努力が、「ラッキー」と呼ばれるような経歴につながっている。
「あの人は、ラッキーだよね」と言われる人には、見えないストーリーがある。「ラッキー」は偶然でなく、理由がある。そう、「ラッキー」はつくれる。