身近に「優秀な人」はたくさんいますが、残念ながら「この人は、天才だ!」と断言できる人には、まだ会ったことがありません。だから、天才がどういう人かがわからない…。
ただ…。
ひとりだけ「こいつは天才か? 天才とは、こういう人か?」と思える人が、身近にいます。それが、ニッポン手仕事図鑑のビデオグラファー。今日はそのビデオグラファーと一緒に、砂時計職人の取材に行ってきました。
なぜ、彼を天才か? と思うかというと、周囲の優秀な人の想像を、いい意味でも悪い意味でも、いつも一歩二歩超えてくるからです。私の周囲の優秀な人の仕事は、「想定の範囲内だけど…すごいね! いいね! さすがだね!」というイメージ。で、彼の場合は「こう来るか…」と、みんなの想像を裏切ることができる。それでいて、彼の映像はいつも、誰からも、高い評価を受けるので、やっぱり天才なんじゃないか? と思えるわけです。
そんな彼も今年30歳。さらに飛躍をしてほしいのですが、そのためにまだ“足りないもの”があります。
それは、評価。
同じ会社の上司や同僚、クライアントからの評価はもちろん高いのですが、30代はそれだけではダメ。同じ会社や身近なメンバー、クライアントから評価が高いのは、お金をもらって仕事をしているなら“当たり前”のこと。
重要なのは、同じ会社でもなく、身近な存在でもなく、クライアントでも“ない”人からの高い評価です。私はこれが、本当の意味での“評価”だと思っています。そう、少し離れた存在の人から評価される実力、実績がないと、これ以上の飛躍はできない。もうすぐ30代を終える私が自戒を込めて言えるのは、もし何かを成し遂げたいと思っているのなら、身近な人から評価されたり、チヤホヤされて喜んでいるようではダメだということ。自分と会ったこともない人が評価するくらいにならないと、何かを成し遂げることなんてできません。
天才であるかどうかはどうでもよくて、別に天才である必要もないと思いますが、彼にはさらに飛躍をしてほしい。
だから、本当の意味での「評価」を手にするお膳立てをしていきたいと、今日改めて思いました。知り合いに薦められて読んでいる『モバイルボヘミアン』の中で四角大輔さんが、アーティストをブレイクスルーさせた経験を書かれていたので、それに感化されているのかもしれません…。
「あの人に会わせてみたらどうか?」
「この賞に応募したらどうか?」
取材の帰り道、あれこれと考えていました。何だかアーティストの卵を育てている気分になって、なかなかワクワクしてきます。自分自身のことも、飛躍させないといけないのですが…。