自分の仕事は、自分でつくる

明日の仕事のヒントと、行動力の高め方

「無駄な筋肉(=知識)は、腕を鈍らせる」と、彼は言った

僕が今、よく声をかけていただき、一緒にお仕事をやらせていただいている製硯師(=硯職人)の青栁貴史さん。
彼は僕の1歳年下なので、よく冗談交じりに「アニキ」と言って、頼りにしてくれているのですが、学ばせてもらっているのはいつも僕のほうで…。突然、彼の口からハッとさせられるひと言が出てきては、「なるほど…」と新しい気づきを与えてもらっています。

 

そんな青栁さんと先日話をしていたとき、彼はふとこんなことを言って、僕をハッとさせてくれました。

 

「筋トレをすると、腕が鈍る」

 

青栁さんは1000年後も残るような硯をつくっているのですが、そんな硯をつくる作業は、まさに肉体労働。精神と肉体に決して小さくない負荷をかけながら、1000年後に思いを馳せて、ひとつの硯をつくっています。言うまでもなく、そのための体をつくることも、大事な仕事。だから青栁さんも、製硯師としての体をつくるために、“以前は”筋トレをしていたそうです。

 

「でも、筋トレをすると、硯を彫る腕が鈍るんですよね。不要な筋肉がつくことで、上手く掘れなくなってくる。だから弟子たちにも、筋トレはしないでいいから、とにかく硯を掘れって言ってるんです」

 

それは野球選手や陸上選手と同じで、筋肉をつければつけるほど、打てるようになるわけでもなく、早く走れるようになるわけでもない。自分の体型に合わない筋肉がつくことで、スムーズにバットが振れなくなることもあれば、フォームが乱れることもある。

 

これ、「筋肉」を「知識」に置き換えることができるな、と。
僕が本業でやっている企画の仕事や、映像や文章の仕事も、無駄な知識がつきすぎることで、アウトプットのスピードが落ちたり、表現がわかりづらくなったり、発想が自分本位になったりする。そう、その知識がついてしまったことで、“下手くそ”になることがある。

 

筋肉も知識も、つければつけるだけいいというわけではありません。つけたことで、下手くそになることもあるということは、忘れてはいけない。今の自分は、どんな筋肉(=知識)をつけるべきか? 筋トレはいらないから、まずは実践を…ということはないか? そんなことを考えながら、自分に必要な学びについて考えていくことで、青栁さんのように一流のアウトプットができるようになるのかもしれません。
その“筋肉”、本当に必要ですか?