自分の仕事は、自分でつくる

明日の仕事のヒントと、行動力の高め方

その単語の“意味”は、辞書で調べてもわからない

今日、京都の千本通にある「Senbon Lab.」で行われた、DESIGN WEEK KYOTOのイベントに登壇してきました。

 

モデレーターを務めてくれた『70seeds』の岡山さんの素晴らしい仕切りもあって、以下のツイートにもあるように、参加者も巻き込んだ熱気あるディスカッションが展開されました。勉強になることも多く、とてもいい経験をさせていただけたので、一緒に登壇をしてくれた職人さんたちや、西陣地域で活躍する他業界の方々、そしてイベントを裏方で支えてくれた大学生の方々には、本当に感謝の気持ちしかありません。改めて、ありがとうございました。


僕自身は「どこまで言っていいんだろう?」と少し迷いながらも、メディアという立場から、自分の中にある思いを伝えさせていただきました。

 

その中で、「言葉って、難しいなぁ…」と痛感したのは、「教育」という単語を使ったとき。この言葉に対して、発展的かつ建設的な意味で、異論を唱えてくれる方が何人かいらっしゃったのです。

 

「『教育』というと、上から強く言っているように感じる」
「『教育』ではなく、もっと“楽しい”ものでいい」

 

僕の中では、「教育=共育」という意味合いが強いので、教える側が上で、教えられる側が下だという関係性の意味合いはなく、教育という言葉に、押し付けたり、支配するという意味を込めたつもりはありませんでした。でも、その単語を受け取った方には、そうではない解釈をした人がいたわけです。そしてもうひとつ、教育というのは、常に楽しさと共存していて、密接につながっているという認識でいましたが、違う認識で「教育」という言葉を捉えている方もいました。

 

そう、ひとつの単語の意味は、みんなで同じ辞書で調べるようにはいかないし、“自分の辞書の中にある意味”で伝えても、当然相違は出てくるもの。どちらが正解というのは決してなく、ここには考え方や価値観、経験の違いがあるのみです。

 

今日、改めて学んだこと。
ひとつの単語に込められた意味はひとりひとり違うし、その解釈をお互いに理解をし合うことが、コミュニケーションなんだな、ということ。

 

そんな大切なことを教えてくれる、このようなイベントは本当に学びが大きく、素敵な出会いもたくさんあるので、ありがたいです。3月には『70seeds』の岡山さんと、『セコリ百景』の大滝さんとイベントを開催する予定ですが、こういう学びは、どんどんしていきたい。
本当にありがたい1日でした。ありがとうございました。
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