真冬の夜風に凍えながら、細い道をゆっくりと歩く帰宅途中のサラリーマン。その横を少しイライラしながら、強くアクセルを踏み込んだ。仕事を終えたばかりのぼくには少しばかり酷な、横浜から長野県までの長いドライブが始まった。目的地はぼくが生まれた病院であり、今まさにおばあちゃんが癌と闘っている安曇野赤十字病院だ。
おばあちゃんの人生はもうすぐ終わる。その前に数え切れないくらいの「ありがとう」を伝えたくて、幼いころから慣れ親しんだ道を、ただひたすらクルマを走らせた。道中のことはほとんど覚えていない。覚えていることは、やめていたタバコを吸ったこと。そのくらいだ。とにかく無心というか、放心状態でアクセルを踏んでいた。
豊科インターチェンジに着いたのは、午前二時過ぎだった。料金所の出口で窓を開けると、いつものように『おばあちゃんが住む街の匂い』がクルマの中に充満する。空気が澄んでいるとか、新鮮とか、おいしいとか、そんな言葉ではピンとこない。ただただ、思わず頬が緩んでしまう心地よい匂い。この空気を感じるのは、おばあちゃんに会う前の儀式みたいなものだ。「もうすぐ、おばあちゃんに会える!」と、子供のころから無性にワクワクしてくる。ただ今日は、心臓の心拍数が急に上がった。
安曇野赤十字病院の駐車場にクルマを停めて、母の携帯に電話を掛けた。母は猛ダッシュで病院の入口から出てきた。ぼくが手を振ると、すぐに来いとばかりにオーバーアクションな手招きをした。静まりかえっている病院の廊下を母が全力で走り、ぼくもそのあとを懸命に追った。エレベーターに乗り込むと、母は一心不乱に「閉」のボタンを連打した。その母の姿を見て、心臓が握りつぶされるような息苦しさを覚えた。
病室に着くと、酸素マスクをしたおばあちゃんが寝ていた。「初孫のあなたが一番かわいがってもらったんだから、手を握って『ありがとう』と言ってあげなさい」と言われ、おばあちゃんの手を取った。しわだらけだったおばあちゃんの手は点滴でむくみ、赤ちゃんの手のようにふっくらとしていてやわらかかった。涙が止まらなくなった。涙を見せないようにしようと思っていたことも忘れて、「ありがとう」と言い続けた。おばあちゃんは意識が朦朧とする中で、はっきりと頷いてくれた。
おばあちゃんが息を引き取ったのは、それから一ヶ月後だった。叔父から「弔辞を読むのは、お前しかいないよ」と言われたぼくは、お通夜の準備で慌ただしい両親や嫁、親戚にお願いをして、ひとりになる時間をもらった。安曇野赤十字病院が見えるコンビニにクルマを停めて、弔辞を書いた。いくつもの「ありがとう」を書きつづった後、空腹感を覚えて、カップラーメンを買った。そのとき、ふと思い出したことがある。
おばあちゃんはぼくに「何が食べたい?」と聞いては、答えたものを何でも作ってくれた。本当に、何でも。「無理」という単語を聞いた記憶がない。しかも、おばあちゃんの作ったものは、まるで魔法がかけられたかのように、どれもが抜群においしかった。
一度だけ、おばあちゃんに聞いたことがある。
「おばあちゃんの作るごはんは、何でこんなにおいしいの?」
まだ小学生のころだったと思う。おばあちゃんは答えた。
「この土地のね、水と空気がおいしいからだよ」
もちろん、それだけでないことくらい、大人になった今はわかる。料理の腕がよかったとか、食材が新鮮だった、なんていうつもりもない。一番はおばあちゃんがいつも、ぼくに向かって笑ってくれていたからだ。少し照れくさかったりするけど、今は本気でそう思う。おいしい料理は、おいしい水と空気と笑顔でつくられている。
クルマの窓を開けて、青空を見上げながらカップラーメンを食べてみた。やさしくほほえむおばあちゃんの顔が浮かんできた。悲しさでいっぱいのはずなのに、まるでおばあちゃんが作ってくれたラーメンのように、最高においしかった。おばあちゃんは最後に一度だけ、魔法をかけてくれた。
*「安曇野エッセイ賞」に応募した作品です。