自分の仕事は、自分でつくる

すべてを引き寄せる、「実行力」の磨き方

価値とは「クオリティ」ではなく、「喜ぶ人の数」である

ニッポン手仕事図鑑の映像のクオリティに、自信があるからこそ言えることですが…。

 

映像の価値は「(作品としての)クオリティ」ではなく、「喜ぶ人の数」であると僕は考えています。
極端な例を挙げますが、「世の中の評価は高いけど、職人さんがそれほど喜んでいない映像」と「世の中の評価はまあまあなレベルだけど、職人さんがとても喜んでいる映像」であれば、僕は間違いなく後者を選びます。しつこいようですが、映像作品としての世間一般で語られるクオリティに自信があるからこそ言えることです。

 

これは映像だけでなく、すべてのプロジェクトにおいて言えることで、世の中的な評価よりも、関わる人がどれだけ喜んでくれるか、その顔が見えるかどうかが、自分自身の仕事の評価基準になってます。これはただの綺麗事でなく、そして言い訳でもなく、最終的に結果が出せるのはそういう仕事だと、これまでの仕事の中で実感し、確信をしているからです。

 

打ち合わせをしているときも、普段からよく見ているSNSでも、日々「クオリティ」という言葉が飛び交います。でも、それが曖昧にされたまま語られていることが多い気がしてなりません。

 

皆さんも日々の仕事の中で、「クオリティ」を意識していると思います。
でも、その「クオリティ」の基準はハッキリとしているでしょうか?“誰を基準に”定めたものでしょうか?

 

専門家や評論家が評価する映像よりも、観てくれる一般視聴者が喜ぶ映像を。観てくれる一般視聴者が喜ぶ映像よりも、依頼してくれた人や出演してくれた人が喜ぶ映像を。僕はこれからも、そこを第一に目指します。専門家や評論家を唸らせる映像を、ビデオグラファーのみんなと追求しつつ。