今週、とある企業の人事担当者から依頼をされて、採用面接に同席しました。
緊張している応募者を見て、初々しさを感じたのは歳を取ったせいでしょうか…。よく考えてみると、自分が最後に面接を受けたのは、もう12~3年前。最後に面接官をやったのも、もう3年前の話です。久々の面接現場は、とても新鮮でした。
20代前半の若者を見て、感じたことはいくつもありますが、ひとつ印象的だったことを挙げると、同じ世代でもこの厳しい時代を生き抜く覚悟ができていると思えた人と、そう思えなかった人がいるということでした。
どこにその違いを感じたか?
世間的に「一流」と呼ばれる人の話を聞いたり、書籍を読んだりすると、「評価は自分ではなく、他人がするもの。評価は他人に委ねるものだ」と言っている人が多かったりします。作家の石田衣良さんも「自分への評価は、他人のもの。その評価について、自分自身が口を出すべきではない」と、そんなことをおっしゃっていました。私も同じ考えです。
「こんな経験をしてきた」
「こんな仕事をしてきたた」
「努力を続けてきた」
「本気で頑張ってきた」
自分が今までやってきたことを、誇ることは大切なことです。でも、評価するのはあくまでも自分ではなく、他人。相手がどう評価したかについて、自分が何かを言うべきではありません。そう、他人からの評価を正しい姿勢で受け止められる人が、厳しい時代を生き抜く覚悟ができている人であり、これから成長していける人だと思うのです。
面接の話に戻りますが、話を聞いていると、何となく伝わってくるものです。
「私はこんなことをやってきました(が、これをどう評価してくれますか?)」と、評価を相手に委ねられる人と、「私はこんなことをやってきました(だから、評価してください!)」と主張してしまう人。前者の人に「覚悟」と「可能性」を感じて、心惹かれました。
結果的に面接で評価されたのは、すらすらとこなれた感じで立ちまわった人でなく、いわゆる“感じ”がよかった人でもなく、私が直感的に「覚悟」を感じた人でした。面接官たちも同じように感じたようです。評価を相手に委ねられる人に、人は覚悟と可能性と、さらに真摯さを感じて、「この人と一緒に仕事がしたい!」と思わせるのです、きっと。
多くの人は、人に評価されたいし、認めてもらいたい。私も自分の仕事を評価してもらいたい。「私のことを認めてください!」と言いたい。でも、評価するのは、他人。そこは忘れてはならないな、と。厳しい時代を生き抜く覚悟ができている人はきっと、そういう人です。
そんなことを考えていて、ふと頭に浮かんできたのが、三浦知良選手とイチロー選手。私が尊敬するスポーツ選手です。このふたりは決して「評価してください!」「頑張っています!」なんて言いません。まだまだ「評価してほしい」感が出てしまう自分を、少しでもこのふたりに近づけていきたいと思った、久々の面接でした。