「座布団」という言葉から連想する人は? と聞かれたら、ほとんどの方が「山田くん」と答えるのではないでしょうか。「山田くん」こと、山田たかおさんは、笑点で座布団を運び始めて、早30年。今では笑点になくてはならない存在であるのは、否定のしようもないと思います。
ただ、最初から必要とされている人材ではありませんでした。
大人気だった「ずうとるび」というグループを脱退した後、急に仕事がなくなり、離婚も経験してどん底まで落ちていた山田さん。その頃に、笑点のプロデューサーから一本の電話が入り、「大喜利の座布団運びをやってみないか?」と誘いを受けたそうです。
しかし、最初は座布団運びを始めた頃は冒頭の挨拶もまともにできず、「…暑いですね」としか言えずに会場を白けさせてしまうこともあったそうで…。山田さんの本業は歌手、笑点のメンバーは話の達人たち。当然、同じようにできるわけもないのに、同じようにできない自分に悩んでいたそうです。
そのときに声をかえてくれたのが、鈴々舎馬風師匠。「うちの一門に入って落語を勉強しなよ!」と誘ってもらい、実際に高座で落語をやり、自分の話術を磨いていきました。
それから、10年。かなり長い月日です…。
ある日、司会の五代目三遊亭円楽師匠が「山田くんを目立たせよう」と提案したそうです。「勝手にやっていいから。悪口を言われたら遠慮なく突き飛ばしちゃいなさい」と。あの山田くんのスタイルが誕生した瞬間です。
笑点に声を掛けてくれたプロデューサー。落語の勉強に誘ってくれた馬風師匠。そして、司会者が代わる際に、座布団運びも代わることが多かった笑点で、歌丸師匠に司会を交代する前の最後のレギュラー出演のときに「山田くん、頼りにしているよ」と、舞台を去る直前に声を掛けてくれた円楽師匠。こん平師匠の後任を決める際、「変なやつを入れるくらいなら、山田くんを入れてやってくれ」と言った歌丸師匠。その他のメンバーにとっても、山田さんはかけがえのない存在なんだと思います。
最初は挨拶すらろくにできなかった山田さんが、なぜ笑点メンバーにここまで必要にされるのか。なぜ、笑点になくてはならない存在になれたのか。なぜ、そこまで愛されるのか。
ここからは想像でしかありませんが、自分が進むと決めた道を、他人から何と言われようと、諦めずに努力を続けたからだと思います。意地を貫いたとでもいいましょうか。そして、長い年月をかけて、努力とチャレンジを続けてきたことを、みんながしっかりと「見ていた」のではないでしょうか。
「お前にそこまでできない…」「これ以上努力しても意味があるのか…」などと、言われたり思ったこともあったかもしれません。それでも、努力を諦めないこと。山田さんの座布団運びは、才能ではなく、努力によって天職になったのだと思います。その結果、国民も認める圧倒的な存在感を持つまでに。
諦めずに、歯を食いしばっている姿を見ているのです。いろいろな人が。